ララミス星系☆遠距離恋愛未満(02)




『おはよう、メッサー君。ちゃんと起きてた?』

 ベッドの上に放り投げたままのデバイスから、耳に馴染んだ声が聞こえてくる。着替えはほとんど済ませていたが、まだカーテンを閉め切ったままの部屋の中で、【Sound Only】と表記された画面が、無機質に浮かび上がって周囲を淡く染めていた。

「おはようございます。起きてました」
『よかった。昨日遅くまで付き合わせちゃったから、寝坊してないかなって心配だったの』

 本当に安心したらしい声が、ほっと息をつく音を拾う。そちらにちらりと視線をやって、メッサーは我知らず目を細めた。

「カナメさんこそ。遅くまですみませんでした。体調は大丈夫ですか?」
『すごく元気! 今日はね、来月のワクチンライブで発表される新しいコスチューム案が見られる予定なの』
「それは楽しみですね」

 今度はうきうきと気分の乗った口調になる。サウンドしかないにも関わらず、すぐ傍にカナメがいるかのような錯覚すら覚える会話は、もうほとんど毎朝の日課だ。
 目を瞑れば目蓋の裏に鮮やかに表情を変えるカナメの姿がすぐに浮かんで、メッサーの声音も柔らかくなる。ララミス星系でも相変わらずの鬼教官ぶりを揶揄してくる同僚や、恐れている訓練生が見れば、目を疑うに違いない。

『うん。――そうだ! 衣装が決定したら、メッサー君の個人デバイスに送ってもいい?』
「……一応、極秘情報になるのでは?」
『メッサー君は身内だから特別枠』
「……」

 さも当然と胸を張るカナメの姿が浮かぶ。が、それよりも言われた言葉の破壊力にメッサーは頭を抱えたくなった。
 身内、特別。
 カナメにしてみれば他意はないのだろうが、はっきりと意識している身からすれば、勘違いが銀河を激しく駆け巡りそうになってしまいそうだ。メッサーはマイクに拾われないようにそろそろと息を吐いた。
 
 カナメとの会話は正直楽しい。あまりこちらから喋る性質ではない自分との会話は、カナメにとって実りがないのではと初めの頃こそ遠慮していたメッサーだったが、ララミス星系へやってきて後、カナメはなにくれとなく連絡をくれた。
 ワルキューレのこと、デルタ小隊のこと、誰と誰がどうだった、新曲の振り付けが難しい、キュルルの毛並みや、昨日食べた晩御飯の内容について。
 ラグナにいた頃も業務に関する連絡は比較的この端末で取り合うことが多かった。けれどあの頃より格段に日常パートが席巻している。メッサーは、昨日のカナメが朝食にクラゲスープを飲んだことまで知っている。

 メッサーがカナメにただならぬ気持ちを抱いていたことは、アル・シャハルでの共鳴で、その前夜にあったクラゲ祭りの告白でも、本人には既に知られている。けれど、それはいったい本来の気持ちのどの部分までか、メッサーは未だに計れないでいた。
 クラゲ祭りの出来事は、ハヤテ達に担がれたことはわかっていたが、もう二度と会うことはないと思ったからこそ担がれてやった面があった。ミラージュとハヤテには不可抗力で知られてしまったAXIA入りのバングルを、自分の知らないところで歪曲した伝えられ方をされたくなかったという想いもある。あれは、メッサーにとって、人生でもっとも価値ある指標そのものだ。だから感謝を。短い言葉でも全てでカナメに伝えようとそう思った。それは後悔していない。
 けれどアル・シャハルでの共鳴は――

 端末から、カナメの考え込む唸り声が聞こえてきた。

『うーん。でもそっか……端末は支部ごと管理だから、レイナにはすぐバレちゃうかもしれないわよね……そっちのサーバー管理者ってどうなのかな。うーん……メッサー君がそっちで変に勘繰られても困るし……』

 自分のことより先にメッサーのことを案じてくれているらしい。画面に移らないのをいいことに、メッサーは優しく眦を下げた。遠く離れたララミスでワルキューレのリーダーと噂になったとして、ラグナ支部での噂話など絶対に大したことはない。それよりもカナメの方が問題だ。もしもそこからくだらないタブロイド誌にでも取り上げられて、根も葉もない噂を喧伝されれば、日常生活にも支障を来してしまうかも知れないのだから。アイドルではないとはいえ、下手なアイドルよりよほど熱烈なファンは多い。
 傍にいられない自分では、もう、護ることも出来はしない。

「俺よりもカナメさんの方が大変でしょう。ヴァール発症者との関わりなんて三面記事のいいネタにしかならない」
『パール? え? 何? ごめんねメッサー君、今聞こえなかった』
「いえ……」

 慌てて聞き返してくるカナメにそう言って、メッサーは内心で己を窘める。自嘲気味な言い方をしてしまった。カナメがヴァール・シンドロームの撲滅に腐心していることを知っているのに、軽率な発言だった。聞き逃してくれたのか、本当に通信障害だったのかはわからないが、メッサーもおとなしく流すことにする。
 端末から、ぱん、と手を打つ軽快な音が聞こえた。

『あ、じゃあホログラム出来たら、装着後の確認もするし、そのとき控え室から映像で通信つなげるとか』
「お気持ちは嬉しいのですが、たぶん任務時間的に合わないと思います」
『……そうよね』

 途端にカナメの声がしょげかえる。
 そんなに新コスチューム発表を楽しみにしていたのか。アラド辺りに頼めば、着衣姿は無理でもフォームやカラーくらいはメディアより先に確認出来るかも知れない。ワルキューレの担当デザイナーは誰だったか。
 メッサーは慌てて淡く文字を浮かび上がらせている端末を見た。

「あの」
『メッサー君に見てもらいたかったんだけどなあ……』
「え?」
『今回の衣装、中に履くホットパンツで隠れそうなギリギリにね、死神のノーズアート入れてもらったの』
「……」

 それは、なんで、そんなサービス――ではなく、そんなものをカナメは女神のコスチュームに入れ込んでしまったのか。まさか全員がそれぞれのデルタ機のモチーフアートを太腿に描いたわけではないだろうから、カナメの個人的な要望だろう。そもそも今の編成でカナメの護衛はアラドになっているはずだ。
 あの時、アル・シャハルでの一瞬のように思われた共鳴の時、メッサーの彼女への想いはもしかすると全て伝わってしまっているのでは。そう思えば、ドッと血の気の引く想いがした。
 なぜならメッサーは知っている。同じように感じてしまったカナメのメッサーへの想いを。大切に思ってくれていた。信頼はおそらくパイロットで一番。信じて背中を護らせてくれた大切な仲間で、――けれど、それ以上でも以下でもない。

 カナメとどうこうなりたいと思ったことは誓ってないし、そういう想いで見てはいないつもりだったのだが、じゃあどういうつもりだったのかと問われれば正直痛い。過去のいろいろはあれど、いうなれば思春期を拗らせた熱烈な片想いに近い自覚はあった。
 そんなメッサーの感情を知ってしまったのだとしたら、カナメはどう思っただろう。
 カナメ・バッカニアの一番のファンか。それはそれで光栄だ。間違っていない。けれど、一ファンへのサービスで愛機のノーズアートを身体に描くのはやりすぎだ。

『でも仕方ないよね。うん、じゃあメッサー君、銀河ライブ中継で見てくれる?』
「……はい。新曲発表もあるんでしたっけ」

 上手い返しの見つからないメッサーは、カナメが勝手に独り合点してくれたのをいいことに、考えることを放棄した。どう感じられていたにせよ、あのときからメッサーの気持ちは確実に変化を遂げている。
 カナメを永遠に失うかも知れない焦燥を覚え、文字通り生死の境を彷徨って、意識を取り戻して初めて見た泣き笑いのカナメを見た瞬間、ああ好きだな、と自覚したことなど、カナメは絶対に知らないのだから。

『そうなの。……って、え? メッサー君、それどこ情報?』

 すっかり新衣装から意識は逸れてくれたようだ。
 そういえばこれもまだプレスリリース前の情報だったなと思いながら、メッサーはナップザックにデバイスや財布といった必要最低限のものを詰め込んでジッパーを閉める。
 忘れていたカーテンを開けると、今更ながら朝日が目に眩しかった。

「一昨日、ハヤテ少尉から近況報告だと連絡が入りまして」
『ハヤテ君?』
「近くにいたんでしょう。途中でフレイア・ヴィオンとマキナ・中島が通信を変わって、そのときに」
『……昨日、メッサー君そんな話してなかった』

 不意に、カナメの口調が低くなった気がした。どことなく拗ねた声音に聞こえなくもないが、そんなものはただの幻聴だと切り捨てて、メッサーは事実を素直に告げる。

「忘れていました。あなたとの話が楽しくてつい。すみません」
『……』
「カナメさん?」
『ううんっ。何でもないの! そうよね、私がずっと喋ってたから……ごめんなさい』

 ハヤテからの連絡は飛行訓練の終わった直後、まだケイオスを出る前だった。帰宅後全ての支度を終えて、そろそろカナメに報告メールでも入れようかと思った時間に「メッサー君、まだ起きてる?」とメールが入り、そのまま通話ボタンをタップしていた。
 話の内容は他愛ない日常で、おやすみなさいと通話を切るまで一時間弱といったところだった。
 けれどもカナメの声はメッサーの耳に心地良い。低すぎず高すぎず、憤った口調も歓喜の声も、落ち込んだ声音ですら、耳に馴染んで指の先まで甘い体温に満たされる。

「いいえ。カナメさんのおかげで、離れていてもラグナのみんなのことがわかりますし、――……それに、こちらに着てからまだ一度もヴァール・シンドロームの兆候が現れていないのも、おそらくあなたのおかげではないかと」

 カナメがこうして毎日のようにメッサーと話をしてくれるのは、おそらくケイオス社の方針もあるのだろうとメッサーは踏んでいる。通常であればケイオスの開発したヴァール抑制剤で様子見となっていただろうが、アル・シャハルでの一件でカナメとの共鳴が確認されたことは、既にデータ上分析に回されているはずだ。ヴァールの鎮静と再発を繰り返し生き延びた珍しい症例でもある。
 まったく嬉しくない特殊な状況ではあるが、そのおかげでカナメの声が聞けるのなら、そこだけは役得といわざるを得ない。
 メッサーの言葉に、カナメが柔らかく微笑む声が聞こえてきた。

『そうだと嬉しい。ララミス星系っていう場所の影響かもしれないけどね』
「プラス要因ではあると思いますが」

 否定のないことに、やはりなと多少の落胆を感じるが声には出さない。ララミスという土地も、カナメの声も、欲してばかりで申し訳ないがメッサーには必要なのだ。
 デバイスの向こうで、バサバサと音がする。カナメも出勤支度をしているのだろう。声が少し遠のいて、それからすぐに戻ってきた。
 
『私の生体フォールド波、メッサー君に効いて良かった』
「はい。研究発表では、俺にレセプター因子はないはずですが、個々に相性のようなものがあるのではないかということでした」
『私とメッサー君、きっとものすごく相性がいいのね』
「……」

 無邪気な喜色を浮かべた声に、またメッサーは言葉を詰まらせた。
 カナメは単に、歌声がヴァール化の鎮静に役立つ割合をいっているに過ぎない。わかっている。別の相性への期待を勝手にしてしまったのは自分が悪い。ニコニコと嬉しそうに微笑むカナメの笑顔を想像して軽い罪悪感に苛まれながら、メッサーは小さく咳払いで誤魔化した。

「……新曲は、順調ですか?」

 話題を変える。

『うん。あ、そうだ! これもマキナたちからもう聞いたかな?」
「はい?」
「今度の曲にソロがあるの」
「カナメさんの? それは知りませんでした」

 これからブリーフィングなんだと慌ただしく終わったハヤテたちとの通話は、ものの五分とない。詳細は何も聞いていなかったのだが「絶対メサメサ気に入ると思うな〜」と言っていたマキナの言葉の意味がよくわかった。それは絶対に気に入るはずだ。
 そうなの、とデバイスの向こうで喜ぶカナメの声が嬉しそうに跳ねているのがわかって、メッサーの口元も知らず優しげに孤を描く。

『ライブのとき、絶対メッサー君のために歌うから聴いててね』
「聴き逃しません。絶対」
『銀河ネットの1カメ抜きはメッサー君宛てだと思って』
「楽しみです」

 衣装と曲と歌と、楽しみが増えた。休憩時間にでも放送時間を調べて、万一のスクランブル発進に備えて録画予約もしておこう。頭の中でスケジュールを書き込んでいたメッサーに、カナメのしゅんとした声が聞こえてきた。
 
『本当は直接メッサー君の前で歌いたいんだけど、すぐには難しいから……』
「十分です。あなたの歌は、どこにいても俺に響きます」
『メッサーくん……』

 目を瞑り、カナメが自分を呼ぶ声を噛みしめる。歌と同じ、心地良い音程が耳に馴染む。ワルキューレとしての歌声は正真正銘ワクチンだが、素のカナメの声はメッサーにとってそれ以上の効果があるように思えてならない。
 デバイスの向こうからじっとこちらを伺うような微かな息遣いに、胸の奥が燻らるような気になって、メッサーはマイクに拾われないよう注意を払いながら息を吐いた。
 もう二度とこの声を聞けなくなるかもしれないところだった。そう思えば今更ながらに震えがきそうだ。

「……では、俺はそろそろ行きますね」

 少し早い時間だったが、いつまでもカナメとの会話を続けているわけにもいかない。
 自制がきかず、もっと声を聞かせてほしいと強請ってしまいそうな自分を内心でひっ叩いて、メッサーはナップザックを肩に持ち上げる。デバイスの向こうで、ハッとしたようなカナメの声が聞こえた。

『あ、私も行かないと。ねえ、メッサー君。今夜は? 遅くなる?』
「飛行訓練の後にブリーフィングがあるので、少しかかるかもしれません。カナメさんは?」
『私はたぶんいつもどおり。遅くなってもいいから、一回だけ電話ほしいな。ダメ?』

 デバイスの向こうでカナメもバッグを動かすような音がする。
 と、同時に吐息の音が近くなる。
 電源を落とすためだろう、カナメはデバイスの近くに寄ったようだった。

「いえ。ですが、遅くなりすぎても迷惑になりますので」
『おやすみなさいだけでもいいから。……声、聞けたらなって』

 それはワクチン的な効果を見越しての打診だろう。そうは思うのに、カナメの声音が微かに震えているようで、メッサーはデバイスの電源に近づけた手で、そっと通信機器ごと持ち上げた。理由なんて何でもいい。カナメの声は、確かにメッサーの即効薬なのだ。

「……わかりました。必ず」
『良かった。じゃあね、メッサー君。いってらっしゃい。帰るコール、待ってるね』
「はい。カナメさんも気をつけて」
「うん!」

 ホッとしたようにカナメの声が明るくなる。それに思わず微笑して今度こそ電源を落とそうとしたメッサーの耳に、極々微かなリップノイズが聞こえた気がした。

 ちゅ、と。

 聞き間違いだろう。聞き間違いだ。そうに違いない。それ以外にありえない。
 けれどまだ【Sound Only】と表示されたデバイスの明かりが消えていないのを言い訳に、メッサーは電源に触れる寸前、そっとマイクに唇を寄せて、消え入りそうなリップノイズを響かせたのだった。

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                                    【 ⇒ 】

メッサー君は生存ルート。
アル・シャハルに転属した後のメサカナのやり取りをハッキングしたマキレイのお話です。
(DVD3巻の小劇場ネタ少しあり)