在りし日の君とその先へ(06)




 子供の活動は本当に急で予測がつかない。
 今、しがみつくようにして何度も瞼を重たそうに瞬かせては、大きく船を漕いでいるカナメの背中を軽いリズムで叩いてやりながら、メッサーは改めてそう思っていた。
 夕食を終え出るまではものすごくご機嫌で、時おりワルキューレの新曲を――聞き取れない幼児語ではあったけれども――歌っていたカナメは、次をどうしようかとメッサーが考えている間に急にガクンと力尽きたのだ。指先を絡めて歩いていたメッサーが慌てて抱き上げると「ねむぃぃ」とむずがり首にぎゅっと抱きついてくる。
 ちょうど行き合った職員が目を丸くして微笑んでくるのから視線を逸らし、メッサーは大股で駆けるように医療ポッドの方へと向かった。

 ――カナメが眠たくなったら、元の姿に戻るサインかもしれない。

 部屋を出る際言われたアラドの言葉が、一瞬で脳裏によみがえる。
 まさかこんなところで戻られたら、とんでもない騒ぎになるかもしれない。何より格好だ。今は子供のようのワンピースがとてもよく似合っている愛らしいだけの少女だが、このまま戻ればそうはいかない。メッサーがどれだけ抱き隠そうとも限界がある。護るべき女神の肢体を衆人の目にさらしてなるものか。

 そうしてほぼ無言催促で駆け抜け辿り着いた最初の部屋で、用意されていた検査着を勢いよく頭から被らせ、ぐってりと力の抜けた軟体動物のようなカナメから、どうにかワンピースを引き脱がせることには成功した。

「……めっしゃー、くんんん……ねむいぃぃ……」
「なら寝てください。あと手を離して」
「や。……そばにいて」
「…………いますから」

 そうして、このやり取りがかれこれ15分ほど続いている。
 ブリーフィングルームに設置された一人用のベッドは今日のカナメの為だとわかる。そこへ彼女を下ろした瞬間から、カナメはメッサーにぴたりと張り付いて離れなくなってしまった。まるでこの姿になって初めて会ったときの美雲への態度だ。他に頼る人のいない部屋で急に心細くなったのだろうか。
 そう思い、手を繋ぐからや、寝るまで傍にいますから、などど話してみたのだが、カナメはいっこうに首を縦に振らなかった。そうして仕方なく抱きつかれたままのメッサーは、ソファに座ってカナメの背中を叩いている。

「おはなし、して」
「……む、昔々あるところに」
「めっしゃーくん、カナメのおよめさんにしてあげるね……」
「ありがとうございま――……は!?」

 本当に、子供は急で予測がつかない。
 思わず声を上擦らせてしまったメッサーの胸の上でむくりと起き上がったカナメが、驚いたままのメッサーの手を取り、強引に小指を絡ませる。そのままパタリとまた力を抜いた。

「やくそく」
「は? いや、カナメさん?」

 話をしてと言ったくせに、突拍子がないにも程がある。細い小指は簡単に振りほどけてしまいそうなのに、意外ときちんと絡められていて、ほどこうとすると胸の上から唸り声が聞こえてきた。勝手にほどくのは駄目らしい。

「……めっしゃーくん、およめさん、いや?」

 うとうとしているくせに寝入らないカナメが、むうっと唇を尖らせている。
 背中を撫でて指を絡められながら、メッサーは溜め息を吐くしかない。
 いやもなにも。

「男は普通嫁にはなりません。それは、カナメさんがなるんですよ」
「めっしゃーくんがなるの!」
「なぜですか」
「だって……だって……」

 子供に正論で返すなど馬鹿らしいのはわかっている。けれどつい真顔で詰めたメッサーに、カナメは一瞬泣きそうに顔をくしゃりと歪めた。それからまたぽすんとメッサーの胸に落ちる。
 小指を絡めていない方の手で一生懸命にメッサーの首にしがみつき、泣きそうな声で語尾を震わす。

「……およめさんはしあわせになるの。だから、カナメがめっしゃーくんをーおよめさんにして、しあわせにしてあげるの……」

 ぐじぐじとむずがりながらそう言われて、メッサーは思わずカナメの手から小指を抜き取った。あ、と漏れた不満の声を聞かず、そのまま小さなカナメの体を衝動的に抱き締める。幼児特有の甘い匂いと高い体温、それに消毒薬の臭いが染み込んだ検査着の中にカナメの気配を求めて、つい鼻先で髪の地肌を探ってしまう。
 小さいカナメはもう少しでいなくなる。そうしたら今の言葉もなくなるだろう。けれど、自分はきっと覚えているとメッサーは思った。

「……ありがとう、カナメさん。俺は、今のままで幸せです」

 このカナメと元のカナメは違うけれど、同じ細胞を持ったカナメがメッサーの為にくれた言葉だ。
 幸せだ。もうじゅうぶんなほど。
 けれどカナメはメッサーの腕の中でぷるぷると首を横に振った。

「もっと。めっしゃーくんはもっとしあわせになるの」
「俺は、あなたが幸せであれば幸せです」
「カナメもめっしゃーくんしあわせなのがしあわせだもん」
「……」

 どうしてこんなに頑固なんだ。
 ああ言えばこう言うを地で行く小さなカナメは、やたらとメッサーを気に入ってくれている。そろそろ勘弁してほしい。もうすぐ戻ってしまうだろうカナメにまるきり忘れられる準備をしたいのに。

「あっ」

 突然カナメが弾かれたように顔を上げた。
 何故だか困惑気味に眉を寄せた大きな目がメッサーをひたと見つめる。その瞳が見る間に涙の膜が張っていき、メッサーは慌てた。
 
「ど――どうしました!?」

 身体に変化が起こっているのだろうか。小さな体の両脇に手を差し込んで、持ち上げてみるが、カナメはメッサーにされるがままに、力なく口を開いた。

「カナメもおよめさんのドレスきたい……」
「…………」
「でも、めっしゃーくん、およめさんだから……がまん、するね……」

 涙を堪えて鼻の頭を真っ赤にしている姿は可愛い。が、そこは我慢すべきところではない。
 思いもよらないカナメの決意に呆気にとられ、メッサーは項垂れてしまったカナメの身体をまた膝の上に戻した。

「……あなたが着ればいいのでは」

 そうすればメッサーが嫁になる必要もない。万事円満解決だ。などと思っていたら、またカナメが弾かれたように顔を上げた。けれど今度はキラキラと輝きに満ちた表情になっている。

「いいの!?」
「え? あ、はい……え?」

 いいもなにも、それが普通だ。
 押され気味で頷いたメッサーに、カナメが満面の笑みになる。にこお、と音がしそうなほどの笑顔に、つられたメッサーの表情筋も僅かに緩んでしまいそうになった。つい先程、泣き出しそうな顔をしていたことなどまるで忘れたカナメは、嬉しそうに小さな指を一つ二つと折り始める。
 本当に、子供は予測がつかないな、と無邪気なカナメに微笑しかけて、

「じゃあねー、めっしゃーくんをカナメがおよめさんにして、カナメをめっしゃーくんがおよめさんにしてね?」
「えっ」

 待った。待ってくれカナメさん。いったいどこからそんな話になっていましたか。
 指はいつのまにか五本全部折りたたまれ拳の形になっていて、数えていた意味はとうに失われている。きゃー、と高い声をあげてカナメがメッサーの首に抱きついてきた。それからすぐに顔をあげて、大きな海色の瞳がメッサーを見つめる。
 本当に子供は予測がつかない。つかなすぎる。

「めっしゃーくん、およめさん!」
「……そうですね」

 もう無理だ。理解力の範疇を超えた。
 えへへ、とそれはもう嬉しそうな笑顔で見つめられ、メッサーは考えることを放棄した。その手を取って、カナメがまた小指を絡めようと動かして、けれど途中で力尽きてしまったらしい。メッサーの小指を小さな五本指がきゅっと掴んだまま、胸の上で規則正しい呼吸音が聞こえてきた。

(……寝た、のか?)

 ということは、そう遠くない後に、カナメは元に戻れるはずだ。
 ホッとして、最後にと小さなカナメの髪を優しく撫でてみる。

「……ん……、めっしゃー、くん」
「おやすみなさい、カナメさん」

 どちらのカナメにともなく呟いて、つむじの辺りに唇を落とす。
 地肌からミルクのような甘い香りが鼻腔に届き、メッサーは静かに瞼を閉じた。この温かい重みは確かに幸せだった。この先、この感覚を手にすることはもう二度とないだろうが、自分はきっと忘れない。
 カナメに幸せを願われたことを。小さな温もりと共に過ごせた幸せを。
 少し。あと少しだけ。
 彼女が深い眠りに入ったのを確認したらベッドに移そう。それですべてが元通りだ。
 最後のつもりで柔らかい背中をリズムよく叩いてやりながら、メッサーは知らず、胸の上の規則正しい呼吸音に誘われるように静かに眠りに落ちていったのだった。






                                    【 ⇒ 】

よくわからないけどカナメさんがちっちゃくなっちゃった!
元に戻るまでメッサー君お世話して!
……な付き合ってないメサカナです。(説明ひどい)