ねえ、今夜からはじめましょう。(02)




「う〜ん……」

 今日も今日とて発売されたばかりのファッション誌を捲りながら、カナメはある特集記事に唸り声をあげてしまった。愛らしいマスコットキャラが白衣を着込んで、先端にハートのついた指示棒で読者投稿に答えている紙面は、この雑誌の人気特集の一つだ。その内容といえばなんのことはない。この手の雑誌に数多ある溢れんばかりの恋愛トーク。中でも、ひっそりと、だが確実に需要のある話題といえば――そう。彼との夜の営みについて。

「みんな本当にこんなことあるの……?」

 カナメは何度読んでも変わるわけのない体験談に目を落とし、唸るようにそう呟いた。
勿論売り上げのため誇張されている部分はあるだろう。多かれ少なかれインタビュー記事で意図しない箇所を煽り文句でスッパ抜かれたり、他の回答と上手い具合に抱き合わされて誤解を生むような改竄をされた経験があるから、それくらいは察しがつく。でもさすがに中堅以上の出版社が発行しているこのファッション誌で、訴訟になるような改善はないだろう。ということは、ここに書かれている話はそこそこ事実ということになる。

「えー……」

 そう思えばこそ、やはりカナメは唸り声をあげてしまう。
 だってそんな信じられない。こんな――こんな。

「いいなあ……」
「メッサー?」
「そう。だって――……って、み、美雲!?」

 あまりにも自然に掛けられた声に素直に答えかけて、カナメは慌てて振り返った。背後からするりと手を伸ばし雑誌を奪い取っていった美雲はいつからそこにいたのだろう。まるで気配を感じなかった。
ワルキューレの全体練習予定まではまだ時間がある。いつもならこちらが呼びにいくまでスタジオを貸しきるかのごとく歌っているはずの美雲は、珍しくケイオス支給の制服のまま、カナメの見ていたページを見つめ、それから妖艶な容姿とは真逆な愛らしさで小首を傾げて見せた。

「随分一生懸命読み込んでいるから何事かと思ったら、セックスのお悩みだったのね」
「ちっ、ちが」
「メッサーが野獣のように求めてくれなくて? 落ち込んでいた、というところかしら」
「美雲!」

 素早く記事を流し読みしたらしい美雲のあまりに的確な指摘に、カナメは思わず立ち上がった。ソファを回り、美雲の手から雑誌を取り上げ乱暴に閉じる。表紙に踊るのは赤く勢いのあるフォントで書かれた≪彼の本能を呼び覚ませ≫の文字だ。今月号の目玉特集内容など隠しようがない。
ただ、別にそれだけが目的でこの雑誌を買ったわけではない。気になるブランドの新作がデザイナーと共に特集されていたからだ。そもそもこの手の雑誌はデバイスではなく紙でスクラップをしておきたいというカナメの一種趣味的なもので、時おり購入してもいる。
今回はたまたま。そう、たまたま。その手の特集が並行して掲載されていただけだ。ブランドのページより遥かに折れ目がついているのもたまたまだ。文字がたくさんあるページだから、読むためにしっかりテーブルに置く必要があったせいだ。それだけだ。

「意外だわ。あなた達、身体の相性が悪いということ? だとしたらそこは仕方な――」
「誤解よ。そっちはすごくい――じゃなくて! もう、美雲!」
「良かったならいいじゃない。何をそんなに思い詰めた顔をしているのかしら」

 興味本意でも揶揄するつもりでもないらしいことは、真っ直ぐに見つめてくる瞳でわかる。けれどもこんな悩み――そもそも悩みといっていいものかもわからない――おいそれと他人に言えるものでもない。
 そもそもカナメは男を知らない。いや、正確にはメッサー以外の男の性欲など知らないから、一般的な世の男性が普段恋人にどういう欲を抱き、どういう行為をするのが普通なのかがわからない。もちろん知識としては知っている。メッサーの抱き方が特殊だとも思わない。彼とのセックスは気持ちいい。そう感じるように、メッサーが教えてくれた。とても優しくされている。だから、でも――

「……別に大したことじゃないの」
「そう?」

 テーブルに戻してソファに座ったカナメの横に、当然のように腰を下ろした美雲が再び雑誌に手を伸ばした。パラパラと目的のないような顔をして捲れば、いやでも折り目のついた例のページで止まってしまう。片手で取り返そうとするも軽く手を払われて、なんだか無理に取るのも億劫になってきた。

「世の中、いろいろね」
「え?」

 誌面に目を落としたまま溢された言葉に顔を上げれば、思った以上に真剣な顔で雑誌を見ていたらしい美雲がいた。おかしな気分だ。直接歌に関係しない雑誌をこうも真剣に見つめる美雲に妙な感慨を抱いてしまう。初めて会ったときからワルキューレの誰よりも妖艶でミステリアスな色気を湛えていた彼女は、最近ふとした拍子に随分可愛らしいあどけなさを覗かせるようになった。けれどそう思うのはカナメだけのようで、マキナモレイナもフレイアも、それにメッサーでさえ「例えば?」と首を傾げる。だが、やはりこういう時だ。まるで無垢でおませな子供が、妙に大人びた台詞を口にしているようなアンバランスさがある気がするのだ。――が、この感覚をどう説明すればいいのかわからないから、誰とも共有できていない。

「ふぅん……あら、なるほど……」

 どこを読んでいるのか、一人で勝手に相槌を打ちながらページを捲る美雲は、もしかしてカナメと同じ驚きを感じているのかもしれない。彼女に対して経験の有無を明け透けに聞いてもいいのかわからないが、小馬鹿にするわけでも嫌悪してみせるわけでもない様子は素直な驚きに見えなくもない。
ミステリアスクイーンが今日はどこかしら純粋に見える姿に背中を押されて、少しだけ美雲の方へとカナメは身を乗り出した。

「――……そ、そうよね! こういうことなんてそうない――」
「襲って欲しいならそう言えばいいいのに」
「へ!?」
「誌面を割いて大々的な特集を組むほど悩むことなのかしら?」

 そっちか。カナメはすぐさま己の失態を悟った。
 やはり美雲は経験豊富なクイーンのようだ。いや、その言い方は失礼だ。訂正する。けれど彼女は美しく豊満な姿態を持ち、蠱惑的な表情や仕草で他人を惹き付けることが出来る人間だ。経験など、それこそついて回るのだろう。
例えば自分が男で美雲が目の前にいたとしたら、やはり本能は野生に返るだろうとカナメは簡単に想像がついた。「ねえ、して」と一言でも囁かれれば、何の準備も整わないうちに性急に求めてしまうかもしれない。彼女が先に達しようが構わず乱暴に突き立てて、何もかもを奪いたくなるのかもしれない。
それが本能だというのであれば――、例えばそれが、いつもどこか冷静に自分を抱くメッサーでも、もしかしたらきっと。
 だけど――

「……言えないことだってあると思うわ」

 メッサーは優しい。すごく優しい。大切にされている。疑いようはない。信じている。だからその分不安になってしまうのだ。今のカナメではメッサーの欲を満たせてあげられていないのではないかと。こんなことでは、そのうち飽きられてしまうのではないかと。
 経験がないことはとっくのとうにバレている。薄々勘づいていたのだろうメッサーと初めての夜を迎えたときは、大切にします、大丈夫、痛かったら言ってください、噛んでいいから、と盛大に甘やかされて朝を迎えた。メッサーは始終優しかった。今思えば、ずいぶん余裕があったのだとわかる。今でも、余裕があるように見える。
 恋人の性経験は初めてがいいという記事と同じくらい、初めては面倒臭いという意見もたくさん読んできた。メッサーがどちらなのか、怖くて実は聞けていない。

「言えない? 襲って欲しいって? 何故?」
「なぜって――」

 悪びれなく小首を傾げた美雲の透き通るような薄紫色の瞳に見つめられて、カナメはぐっと息を飲んだ。蠱惑的だ。憂いを帯びているようにも見えて、愛らしい少女のようでもあって、そのくせ誘惑と拒絶を含んでさえ見える。こんな表情が出来るのなら、カナメだって何の気兼ねもなくお願いできた。できないから、言えないのだ。言って、もし――

「お、襲ってくれなかったら、どうすればいいの……」

 優しいメッサーに諭されでもしたら羞恥心で憤死しそうだ。ほとんど表情の変わらない彼の眉が僅かに寄って困惑の視線を向けられて「どうしました?」「良くなかったですか?」などと聞かれたら。ありそうすぎて実行に移せない。
そもそも襲って欲しいというのはこの記事に書かれている彼女達のように本能的にして欲しいのであって、こうこうこういう理由で襲う振りをしてくださいと頼んでして欲しいわけではないのだ。
 欲情してと言って困惑されたら、泣くというより絶望だ。
 誘いを断られた男性が次に消極的になる気持ちがなんとなくわかる。

「……思った以上におバカさんだったのね」
「え? なに?」
「なんでもないわ」

 悶々と考え込んでしまったカナメに、美雲は雑誌を閉じてふるりと小さく首を横に振って見せた。その仕草さえいちいち艶があって羨ましくなる。と、美雲は雑誌から手を離し、すっとカナメの肩に手を置いた。きょとんと瞬く間に音もなく美雲の顔が近づいて――

「立てる?」
「な、何を?」
「メッサーにあなたを襲わせる作戦」

 間近に迫った美雲の唇の両端が、カナメの瞳の中で妖艶にうっそりとつり上がった。


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                                    【 ⇒ 】

生存ifで付き合ってるメサカナ。
メッサー君に優しくされ過ぎて、むしろ自分では物足りないのではと不安に思ってしまったカナメさんが色々考えてやらかすお話。
タグはつけていませんがそこはかとなくカナクモ&アラクモ。(