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ねえ、今夜からはじめましょう。(03) 自分は何かしたのだろうか。 ステージへと駆けていくカナメの後ろ姿を見送りながら、メッサーは我知らず眉間にぐっと皺を寄せた。 ライブ終盤、屋内ステージのためジークフリードでのデモンストレーションの出番がないデルタ小隊は、各位置に配されワルキューレの活躍を警護する。それは特に変わったことではない。けれど舞台袖にはけてきたカナメが一瞬フラつくのを認めて咄嗟に差し出した手は、僅かな接触だけで離れていってしまった。「ありがとう、メッサー君」とは言われたし、照れたような笑顔も見られた。けれどはにかんだカナメの眼差しがメッサーの目を覗き混む時間は、このところ明確に減っている。 (……何だ?) さっきのことは、普段なら、こちらがどれほど戸惑ってもぎゅっと抱きつき「充電」等とどうにかなりそうなほど愛らしいことを言ってきそうなタイミングだったというのに。目もろくに合わされずそそくさと離れた熱を思い出すように、メッサーは片手を握り締めた。 心当たりはあるようなないような――いや、明確なものは正直まるでない。大きくやらかして機嫌を損ねているわけでもないのだ。カナメは怒っているわけではない。ただ、妙な間を取ろうとしている気がする。 (何か原因が……) あっただろうか。 大きなステージで堂々と歌い踊るカナメを見つめながら、メッサーは自身の言動を振り返ってみた。最後に二人きりで過ごした夜はもう三週間ほど前になる。改めて数字を出してみると長い。戦時中ならざらにあれど、このところは特に大きな問題もなく、メッサーに緊急呼集がかかったということもない。通常任務の範囲内でのスクランブルは何度かあったが、それは直接関係ないだろう。カナメがメッサーの仕事の都合に不満を抱くことはないからだ。 あの夜は確かいつものホテルにカナメを誘い、夕食を済ませてからやってきた彼女と合流して酒を飲んで――自然な流れで身体を重ねた。ハウツーのお手本のような一連の流れは、ワルキューレであるカナメの周囲を気にしてのことと、カナメ自身が何度行為を繰り返しても最初の一手で恥じらいがちな性格の可愛さを考慮してのことだ。今からしますよ、というような手順になってしまっていることを正直焦れったく思うこともなくはない。が、お伺いを立てれば、素直に甘えた反応を返してくれるカナメがいるのでメッサーにとっては苦でもなかった。 メッサーも男だ。ともすればカナメの準備を無視して、何もかもを奪ってしまいたい狂暴な感情が時おり頭をもたげることも皆無ではない。けれどもそれ以上にメッサーはカナメが大切で、だから、彼女の意に出来るだけ何でも添わせてやりたい。そう思うのは昔からで、そこに恋心が重なって愛と認めるようになった今でも、単純にそれを実行しているにすぎなかった。 それがいけないということはないと思う。大切に扱われて、悪い気のする女性がいるという統計をメッサーは知らない。カナメと付き合うようになってから何度か視界に入った特集雑誌の表題にも、そんなことは見たことがなかった。 あの日だってカナメは何度も達していたし、そうでなくとも相変わらずただひたすらに愛しかった。 我慢しようと唇を噛む姿も、潤んで溢れる涙も、あがる矯声も、思わず背中に立てられた爪の痛みも何もかも。思い出すだけで胸が締め付けられてたまらなくなるのはいつものことだ。それに加えて少し疼きそうになるのはあれから大分経っているからかもしれない。 遅くなりきる前にと寮に送り、またね、と微笑んだカナメと交わした別れ際のキスはいつもと何も変わらなかったはずなのに。 (……何か、記事になったわけでもなかったはずだが) とるに足りないような三流以下の小さな記事でも自制を要される立場にいるカナメではあるが、ここ最近ワルキューレのゴシップやスクープが出たことも、メッサーの記憶にあるかぎりはない。 けれどその夜以降、メッサーは誘いをすべて断られている。 (何か……カナメさんが嫌がることをしたか……?) 自分の欲望を押さえつけてでも彼女の反応を優先していたくらいの自覚はあっても、思い当たる節はない。その証拠に、メッサーの下でカナメは何度も背筋をしならせ達していた。けれどその夜以降、カナメはメッサーを避けている。 それとなく聞いた夜の予定は悉くスケジュールが埋まっていたし、たまに合う二人の休日は彼女の方に先約があることばかりだった。正直予定を聞く勇気がかなり減退している。 明確な拒絶ではないけれど、徐々に、だが確実に距離を置かれているのだと思うのは間違いではないだろう。この感覚には覚えがあるような気がして、メッサーはステージに視線を走らせながら記憶の片隅を浚った。 (まるで――……) 何も変わったことをした覚えもされた覚えもないはずなのに物理的な距離があき、それに気づいた頃には精神的な距離に改めて気づかされる。心底憎まれているわけではないから、はっきりとした言葉はない。ただ距離だけが霞のように掴めないまま遠くなる。 そうだ、これは、心移りしたかつての恋人達の態度に似ていなくもない。そうして近い将来言われるのだ。決定的な一言を。「ごめんなさい」と申し訳なさに顔を歪めて。「あなたが悪いわけじゃないの」と。けれど「他に好きな人が出来たの」と涙ながらに謝罪する彼女達を見つめて、自分は何を思っていただろうか。たぶん心のどこかで察していたから、ああそうか、と思っただけだ。大切にしてくれる相手がいるのなら良かったくらいに思っていた気がする。それなりに大切にしたつもりだったが、それ以上を求められなくて良かったとすら思っていた。そうしてくれる相手がいるなら本当に良かった。そう思うくらいは薄情だった。 けれど―― 「どうかしたか?」 不意に後ろに掛けられた声で、メッサーは現実に引き戻された。 「――アラド隊長」 持ち場の確認に来たのだろうアラドがいつの間にかそこにいた。周囲の警戒を疎かにしていたわけではなかったが、さすがというほどの気配の絶ち方はやめてほしいところだ。内心で息を吐きつつ見やれば、アラドが眉を顰めた。 「暴漢ひとりやってきたみたいな顔をしてるぞ」 「……生まれつきですが」 「嘘言え。赤ん坊がそんな顔で生まれてきたら俺なら泣く」 そんなに酷い顔をしていたのか。 自分自身への疑問で目を眇めたメッサーの隣に立ったアラドが、苦笑しながらステージへと顔を向けた。 「悩みごとか。お前は抱え込むからなあ」 なんてことはない世間話のようにそう振られ、けれどメッサー自身が不確定な事実は何を言うこともない。それ以前にこれはおそらく二人の問題だ。上官に相談を仰ぐような話ではないという言い訳が咄嗟に浮かんだ。 「いえ、何もありません」 「そうか」 ちらりと横目で見られた気がしたが、メッサーも視線をステージへやる。が、アラドはすぐには立ち去らなかった。並んだ彼から、メッサーの気持ちを読んだようにステージ上のカナメへと視線が流れるのを感じながら、若干の居心地の悪さを感じてしまう。 特に隠しているわけではないカナメとの関係に最初に気づいたのはアラドだ。というより、カナメが自分から報告した、というのが正しい。そうでなくとも薄々察していたらしいアラドからニヤニヤと祝福の言葉を受けたのも懐かしい話になりつつある。 そうして二人の関係が露呈してから、それまでは仕事の相談やら何やらで二人一緒によく食事をしていた節のある彼が面白いくらいスマートに距離を置いたのを、きっとカナメは気づいていない。彼女にその気があったのかなかったのかは未だによくわからないところだが、少なくともアラドの方は余計な悶着をはっきりと避けた。 それは経験豊富な大人の男としては節度ある態度で、――けれど少しだけ、譲られた気になったのも確かだった。 「メッサー。お前、明日非番だったよな?」 「ええ」 問われてメッサーは頷いた。シフト変動でもあるのだろうか。続く言葉を待っていると、アラドは天気の話でもするかのように口を開いた。 「カナメさんも休みになったろう」 「は?」 聞いてない。――いや、いちいち休みを全て伝える義務などないし、そんな拘束的な約束を交わした覚えもないが、それはいつ決まったのだろう。思わず隣を見下ろせば、アラドが何とも言えない顔をした。 「美雲さんと交換だ。昨日ミーティングの後でレディMのお呼び出しがかかってな」 「――そう、ですか」 それならば仕方ない。業務上の変換は、それすなわち任務と同義だ。けれどアラドが教えてくれなければ、カナメはメッサーに非番の変更を教えてくれるつもりなどなかったような気がした。それがどうしてかはわからない。けれどカナメは、明日のメッサーが非番だと知っていたはずだ。パイロットのスケジューリングはワルキューレとの業務提携上周知されている。逆に芸能活動のあるワルキューレのスケジュールは変更も多く、詳細はリーダー間での確認で済むことが常だった。それを不満に思ったことはないし、当然だと思っている――はずが、何故か妙に胸の奥がざわついた。 昨日も今日も、二人で挨拶を交わす時間は何度もあったのに、メッサーはカナメから明日の予定を聞かれていない。 「明後日はワルキューレ全体の休息日だから実質二連休だな。ということでウチの小隊も明後日は午後からでいい。後で通達するが、とりあえずお前さんもしっかり休んで、その眉間の皺取ってこい」 返事の前に背中を叩いたアラドは、そのまま踵を返して行ってしまった。背中がジリ、と痛む気がする。二日間の連休。ライブ明けの今夜は身体を十分に休める必要があるだろう。だが明日は? 休暇を知らせなかったのは何か意図があるからなのか、それとも。 例えば今この話を聞いたメッサーが誘ったとして、カナメは応じてくれる気があるのだろうか。 話をするだけでいい。出来れば少し触れ合って、休息をとれればこしたことはないと思う。だが。 (……) ステージ上で、カナメがくるりとターンを決める。舞台袖に向かい合うポージングでしっかりと止めた赤い頭が、テンポダウンした間奏に合わせてゆっくりと上がる。その視線がずっと姿を見つめていたメッサーと合うや否や、カナメは明らかに瞳を逸らした。 (――……ああ) そのせいで珍しく一拍遅れたカナメがさすがの動きで曲に乗りパートを歌い出す様子を認めて、メッサーの胸に、重い塊が落ちてきた。誤魔化すカナメに気づいたのだろう美雲が、原因を探るように自然な動作で振り返り、メッサーを見るや僅かに呆れたような視線をカナメへと向けるのも確認できた。 (美雲・ギンヌメールは知っているのか) その彼女と一瞬だけバツが悪そうなアイコンタクトをしたカナメの姿から、今度はメッサーが目を伏せる。この分だと、美雲にはなにがしか相談でもしていたのかもしれない。やはりそうか、と納得する。彼女の心は離れている。だからきっと、カナメから明日の休みをメッサーに知らせてくれることはない。もう他に誰かいるのか。それとも抱いていたはずの感情が、いつの間にか別の何かへ変わっていってしまっただけか。それはメッサーの何かが原因だったのか、それとも―― 「タイムリミット、か」 誰にともなく呟いた声は、思いの外あっさりとした響きをもって耳に届いた。 カナメが決めたことをメッサーが否定することはないし、するつもりもない。彼女には幸せでいてほしいと思う気持ちに、今も昔も嘘はないのだ。苦しめるつもりも毛頭ない。それがカナメの望みなら、元の形に収まるだけだ。 (当然だ) いつかこんな日が来るだろうと、心のどこかで思っていた。女神は、地上に留まっていていい存在ではないのだから。 もう一度目蓋を上げたメッサーの視線の先で、ステージ上からカナメがちらりとこちらを見た。避けられる前にその瞳に微笑めば、カナメが僅かに目を瞠ったのがわかった。こうやって意識的に見られることもすぐになくなる。輝ける星は天に還り、自分は照らされる地上の砂の一粒になる。それだけだ。本来そうだったはずだ。それを、どうして、海面に浮かんだ星に手が届いたなどと勘違いしてしまったのだろう。 自分のせいで女神の日常を戸惑わせるのは不本意だ。彼女が言い出し難いのなら、先に矛先を向けるのはメッサーからでいいだろうか。それならば善は急げか。ちょうど休みも取れたようだから、気分転換をする時間も取れるだろう。優しい彼女のことだから心変わりに責任を感じてしまうかもしれないけれど、気にしないでほしいと上手く伝えられればいいと思う。 カナメを見上げ、護る本来の立場に戻れればいいのだ。それでいい。 ――そう思うこの感情が欺瞞だったとメッサーが知るのは、すぐ後のことになる。 【 ⇒ 】 生存ifで付き合ってるメサカナ。 メッサー君に優しくされ過ぎて、むしろ自分では物足りないのではと不安に思ってしまったカナメさんが色々考えてやらかすお話。 タグはつけていませんがそこはかとなくカナクモ&アラクモ。( |