ねえ、今夜からはじめましょう。(05)




 正直、今夜カナメは来ないかもしれないと思っていた。
 予定はない、大丈夫だと言ってはいたが、メッサーの誘いにカナメは明らかに戸惑って見えた。二人きりでは会話すら応じてはもらえないかもしれないという何とも情けない理由で他に人のいる場所を選んだのは自分だが、いかんせんアラドへ助けを求めるような視線をやられた瞬間にしまったと思った。
 まさかこんなにはっきり、おもしろくない、と思う感情が頭を出すとは思わなかったのだ。

「メッサー君?」
「 ――すみません。どうぞ」
「おじゃまします」

 時間ぴったりに訪れたカナメは、目深に被ったつばの広めの帽子をちょこんと下げて、メッサーの開けたドアから室内へと足を入れる。何度も見たはずの光景が、やけにメッサーの胸の奥を疼かせた。
カナメが目の前を通りすぎ様、ふと鼻先を掠めた香りが覚えのあるものと違ったような気がして、メッサーは思わず後を追うように振り返った。

「メッサー君? どうかした?」
「――……いいえ、その、髪が濡れていた気がして」
「えっ、あ、嘘。ちゃんと乾かしてき――え、ええと――!」

 匂いが違うなど、まるで気持ちの悪いストーカーだ。だから誤魔化すために咄嗟についた嘘は、カナメの図星を突いてしまったらしい。狼狽えたカナメが慌てて髪を抑えようと手を動かす。被ったままだった帽子が床に弾き落とされた。

「あ、汗をかいちゃったから、流すだけと思って」
「そうですか」

 帽子を拾って渡したカナメの顔はこれ以上ないくらい赤い。メッサーの様子を窺うようにちらりと向けられた視線は、合った瞬間に逸らされた。
ともすれば可愛いはずのその仕草に、メッサーの胸がざわりと嫌な音を立てた。
 カナメの慌て方からして、ここへ来るまでに浴びてきたのだと察しがつく。ワクチンライブの後にも毎回十分な時間は取っているから、普通はその間に一通り汗を流しているはずだった。現に、ブリーフィングルームに現れたカナメは、ステージ用ではないいつものメイクに戻っていたのをメッサーは知っている。ならカナメは、どうして二度目の汗を流す必要があったのか。

「食事は?」
「食べてきたわ。バタバタしてたらアラド隊長がクラゲサンドをくれたからそれで」

 ゆっくり食事を済ませてきてくれれば良い。そう思っての時間振りが裏目に出たとそう思う。食事を流し込む程度の時間しか取れないほど二度目のシャワーに時間をかけたり普通はしない。
だとすれば二度目のシャワーの理由など、可能性は自ずと限りなく絞られてくるというものだ。

「……足りましたか」
「え」

 汗をかくほどの時間を満喫するには、きっと足りない時間だった。出した声音が自分のものではないほど妙に不安定な色を帯びている。そう思ったのはメッサーだけではなかったらしい。カナメが僅かに息を飲み、帽子を胸の前で抱き締めた。
 そんな持ち方では型が崩れる。
 こんなときでさえ変なところを律儀に気遣う自分の女神崇拝は行き届いているのかと内心で自嘲して、メッサーはカナメの手から帽子を取ろうと手を伸ばした。と、メッサーの手に怯えたように、カナメの肩がぴくりと跳ねる。

「あ、ええと、ち、違うの、今のは」

 しどろもどろの弁解がメッサーの耳をすり抜けていく。
 他の男に抱かれたら、もう触れることさえい厭われるのか。
 足は地面についているのに、ぐらりと頭の芯が大きく揺さぶられたような気がした。何事か説明を続けるカナメの手が、しきりに胸に抱えた帽子に皺を刻み、もう一方の手が何度もうなじを行き来する。その行動に違和感を覚えたと同時にメッサーは、カナメの手を取っていた。

「――」

 す、と揺れていた視界がクリアになる。見間違いようがない。鬱血した跡がそこにあった。
 誰が――彼が? それとも他に?
 思考が一気に冷えた気がした。心臓の音がまるで鳴るのを止めたかのように聞こえなくなる。

 ああ、ここに。彼女のここに唇を寄せたのは俺ではない他の誰かか。まだ完全に俺を終わりにしていないくせに。女神はずいぶんな仕打ちを与えてくれる。

 外気に晒されてきたからか、ほんのり冷えた赤い毛先を払った先でその跡に触れれば、カナメは一瞬遅れて、それから思い出したかのように手で首元の跡を押さえた。そんなことをしてももう遅いのに。

 帽子は完全に忘れられたようで、情けない音を立てて床に落ちる。
 話し合い―そうだ。話をするんだった。
 メッサーが絞り出すように名前を呼ぼうとしたとき、カナメが意を決したように顔を上げた。

「あっ、あのメッサー君!」
「……何か」

 言い訳か。謝罪の言葉か。そんなものはひとつもいらない。気持ちの変化は誰にでもある。そうだ。メッサー自身、カナメへの想いはもっと純粋で崇高だったはずなのだから。彼女の気持ちが最優先で、彼女が幸せなら、その相手は誰でもいいと思っていたのが、まるで遠い昔のようだ。

「その――……軽蔑した?」

 首元を押さえて床を見つめ、眉を寄せた赤い頬で、カナメが消え入りそうな声を出した。
 軽蔑? 人と会う約束をして、他の男と会っていたことを? ワルキューレのリーダーともあろう人が、そんなところに隠しようのない跡をつけるような軽率な男を次の相手に選んだことを?
 した、いや、しない、軽蔑じゃない。そんな簡単なものじゃない。

「メ、メッサー君?」

 答える前に、メッサーは再びカナメの手を取っていた。乱暴ともいえる動きに、カナメが戸惑いの声をあげる。けれど離す気持ちに全くなれない。メッサーは跡の残る首元を見つめ、それから、く、と知らず咽喉の奥を仄暗く鳴らした。

「しません。それがあなたの望みならそれでいい。ただ」

 明るいオレンジ色の室内灯が、カナメの健康的な肌を染めている。視界の端に映る鬱血跡の主張がそこに煩わしい。

「俺も、シていいですか」
「え? なに、を――ンッ!!」

 その腕を軽くない力で引いて、メッサーはカナメの首筋にはっきりと噛みついた。埋めた耳元で悲鳴を飲み込んだカナメの声がちりっと心を刺した気がするけれど蓋をすれば聞こえなくなる。簡単だ。
 歯を立て、その跡を舐るように舌で覆って、強く皮膚を吸い上げる。

「いっ――まって、メッサーく、」

 驚きに後ろへ引いた足を追って、メッサーは唇にも噛みついた。突然の行為に引き結ぶカナメのそこを指でねじ開け口腔を汚す。ドンドン、と胸を叩くカナメを無視して蹂躙し、唇を舐めながらで身体を押し付ける。縺れるようにベッドマットへ雪崩れ込むと、メッサーはカナメのシャツを乱暴に捲り上げた。

「ひゃっ、わ――……あの、メッサー君……?」

 呆然というよりきょとんとした青い瞳が、暗い愉悦を湛えた自分をただ純粋に映している様を見下ろしながら、メッサーは頭から引き抜いたシャツを上に上げさせた手首で乱暴に括りつけた。お遊びの拘束と呼ぶにはきつく締め上げる。

「待てません」

 短い言葉を吐き捨てたメッサーの下で、スプリングがぎしりと鈍い軋みを上げた。


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                                    【 ⇒ 】

生存ifで付き合ってるメサカナ。
メッサー君に優しくされ過ぎて、むしろ自分では物足りないのではと不安に思ってしまったカナメさんが色々考えてやらかすお話。
タグはつけていませんがそこはかとなくカナクモ&アラクモ。(