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あなたであれば例え涙の一滴でも(04) 4、一線の在処 しまった、と思った。 足の間に入り込み息を乱したカナメさんを見下ろしながら、サイドテーブルから手を戻す。蓋の開いた小さな空箱はがらんどうだ。 「メッサー、くん?」 「……すみません、今日はもう」 「? まだ大き」 二度目だから、という事情を別の意味で察したらしいカナメさんが、肘をついて身体を起こし、俺のそこを見て手を伸ばす。最初は大きいも小さいもわからなかったくせに、ずいぶん詳しくなったものだ。困る。 その手に触れられる前に取り上げて、俺は彼女の上から身体をどかせた。 「手持ちを切らしました。すみません」 「え、あ、ゴム……?」 「……」 避妊具の名前を口にするのも躊躇っていたくせに――と慣れさせた自分を棚に上げて思ってしまうのは、これが練習だと知っているからだ。慣れれば俺は用がなくなる。彼女とこんな関係になってからもう何箱目かわからない小箱の終わりが、まるで関係の終わりのように思えてきて自嘲するしかない。 ここ最近、ワクチンライブだなんだと忙しかった彼女とはなかなか時間が取れなかった。俺は俺でスクランブルやら新人の育成やらで忙しく、最後に体温を確かめ合った日から残数を確認する暇もなかっただけだ。 けれどまるでもうそろそろいいだろう、と言われているような気になるのは自信のなさがなせる業だ。 カナメさんが俺を追うように身を起こした。 「……メッサー君、使った?」 「まさか」 おかしな指摘を否定すれば、何故だかカナメさんはホッとしたように表情を緩めた。 自慰でそんなものは使わない。 というか彼女と関係してから割と高頻度で合っていたから、正直そんな気も起こらなかった。 「しばらくぶりだったでしょう。まだあるとばかり」 「そっか」 「次があれば用意しておくので、今日はもう」 果たしていつ終わるかわからないこの関係で、どこまで口約束が有効なのかはわからない。彼女に続ける気があるのなら、と暗に主導権を放棄した物言いで逃げを打つ。と、向かい合ったままだったカナメさんが、不意に俺の太股に触れた。 「……いいよ」 「そう、いい――……は?」 まじまじと彼女の顔を見つめれば、存外真剣な表情のカナメさんは、冗談を言ったわけではないらしかった。 だとしたら余計問題だ。この状態での「いい」は即ちこのままでいいということになる。 「ね、メッサー君」 「こら」 俺自身に触れようとする手をつかんで離させる。 けれどカナメさんは身を捩って逃げると、じり、と俺との間合いを詰めた。 「いいよ。今日、大丈夫だからこのまま」 「ダメでしょう。ダメですよ。何を言ってるんですか」 馬鹿じゃないのか。それも練習だとでも言うつもりか。 快楽に飲まれるなんて、好きでもない相手に絶対してはいけない。百歩譲って相手がいないならまだしも、だ。責任云々の話じゃない。そんなもの彼女が望むならいくらでも取る。だが違う。絶対に後悔させるとわかっている行為の果てなど見たくない。俺にだけ、一方的な想いがあるから尚更だ。 けれどカナメさんはその場にぺたりと座り込むと、わたわたと両手を小さく左右に振った。 「本当に大丈夫なの。薬も飲んでるし――あっ、その、こういうことの為じゃなくてね? ライブとか、いろいろコントロールするための処方で、でも、だから、そのままでも、あの、メッサー君に迷惑かけないから」 「迷惑って」 「平気なの。だからそのまま」 しよう、と語尾の上がった台詞も、出方を窺う上目遣いも計算され尽くしていれば萎えることも出来るのに、彼女はいつも素のままだとわかるのが困る。甘えよりも不安が滲む瞳が揺れている。本当に馬鹿だ。そんな誘い方もそんな表情も、襲ってくれと言っているようなものだろう。さんざん抱いて抱いて、何も知らないあなたを騙して何度吐き出してやろうと思ったか知れない。絶対に後悔するそんな汚れた感情を必死で押し留め、あなたの望むように抱いてきたバディを信用しすぎだ。 俺しか知らない、という現実が、こんなに不安になる日がくるとは思わなかった。 はっきりと深い溜め息が口から溢れる。たぶん、眉間に皺も寄っているだろう。 「そういうことだけじゃありません。そんなことを軽率に許可したら駄目です。軽い女だと思われると、後々いい関係に発展する可能性を狭めますよ」 当たり前のことだろう。 何で俺がこんなことまで懇切丁寧に教えなければいけないんだ。 リスキーなのは女性の方だ。そんなこと、俺に言われずとも十分わかっているはずのカナメさんに相手の男を思い出させる。ベッドの上でいわゆるマナー違反かもしれないが、そもそも他の男で慣れたいと始めたこの行為が既にマナー違反だ。口に出せば胃の腑が冷えた気がしたが、それでもカナメさんが理性を取り戻してくれる方が重要だと自分自身に言い聞かせる。 俺の忠告に、カナメさんはきゅっと唇を噛み締めるようにして下を向いた。 「……いもの」 「はい?」 「発展する可能性なんてないもの。それなら、だから――」 向かい合って座ったぺたりと座った膝の上で、カナメさんが握り拳を作っていた。力が入っているのが白くなった部分でわかる。俺は、彼女の手の上に手のひらを置いた。 「何か言われたんですか」 「え?」 「誰かに、何か言われた? 大丈夫ですか」 「……」 もしかして、意中の彼に想いを伝えた? それで色よい返事をもらえなかったから、自暴自棄になって俺とそのまましてもいいと言い出したのかもしれない。でも久し振りに今夜会いたいと言ってきた時も、ホテルで顔を合わせた時も、そんな素振りはなかったと思う。むしろ久し振りだねとはにかまれて、まるで遠距離恋愛中の恋人同士のようだと錯覚させられるくらいだと思っていた。 失恋の痛手を俺に知られたくなかったのだろうか。 「カナメさん?」 慰めてと言われたら、これ以上ないくらいに甘やかしていただろう。 泣いているのかと思ったが、上げさせた顔に涙の跡がなくてホッとする。 けれどカナメさんは困ったような、泣きそうなような、よくわからない表情で俺をじっと見つめた。 「……メッサー君は、私が振られると困るの?」 「それは――」 わからない。 あなたの幸せを願っている。 だけどまだ俺しか知らないあなたを他の男が知ることになると思うだけで、身の内が灼けそうな気持になる。だからといって、想いが叶わなかったと泣き濡れる姿を望んでいるかと言われたら、そんなことはまるでない。 あなたの幸せを願っている。あなたには笑顔でいてほしい。 答えに窮した俺に、カナメさんはすっと顔から表情をなくした。 「続き、しよう?」 「ですから――ちょっ、待ってください、カナメさん!?」 「やだ」 言うなり俺の肩を押すようにして、カナメさんが乗り上げてきた。後ろに倒れそうになったのを体幹でどうにか堪えたが、両足を大きく開いて俺の足の間に座ろうとするカナメさんは、なかなかどうして力強い。 制止も聞かず、勝手に掴むと腰を落とそうと膝を緩める。 「ん」 「ッ、カナメさん!」 先端がくちりと音を立ててキスをした。と同時に俺は弾かれるように彼女の腰を掴んで後ろに押した。もう力を抜くことしか考えていなかったカナメさんは、今度は簡単に膝の間にぽすんと座る形で事なきを得る。 駄目だ。どうしたって許されない、こんなこと。 散々抱いておいて今更といわれようが、この一線は重要だ。 人としても、男としても。 またぞろ唇を噛み締めようとした彼女の口を宥めるように指を這わす。 「……どうしたんですか」 「なんでダメなの?」 「どうしてもです。薬だって100%はありえない。本当にそういうことを軽率に言わない方がいい。大抵の男なら乗りますし、そもそも責任云々以前に人によっては病気があるかもしれないんですよ? セックスはそういうリスクの――」 「私はメッサー君だけだから大丈夫よ?」 「そ――」 だから、そういうことを軽率に言うな。 そう言い掛けた言葉は、カナメさんの体当たりようなキスで塞がれて出てこなくなる。がむしゃらに奪うだけのキスは乱暴で、どこか必死で、押し付けられる身体を支えてやろうとすればするほど、ぐいぐいと体重を乗せてくる。ベッドの上を後退らされ、まさかの壁に背中をつけてキスを受ければ、カナメさんがはぁっと荒い息をついた。 赤くなった唇から二人分の唾液がぬらぬらと光って落ちる。 「ごめんなさい」 「カナメ、さ」 「迷惑かけない。メッサー君は動かなくていいから」 膝立ちで俺に跨がるカナメさんが、情けなくもずっと勃ったままの俺の上に再び入り口を擦り付ける。先端だけでもわかるほどに、彼女のそこは濡れていた。知っていた。当然だ。今夜はもう二度目だし、そもそも挿れる直前まで俺自身が執拗に愛撫を繰り返していた場所だから。 「嫌なのにごめんね」 「カナメさん」 「……メッサー君がほしい」 我慢の限界だ。 ん、と息を詰めて硬く起立したそれを慣れない動きで腰の奥に沈めようとした彼女の腰を掴む。拒絶だと思ったのだろう、大きな瞳からぼろりと涙を溢して眉を寄せ、絶望の顔で俺を見た彼女をそのまま下から突き上げるように腰を持ち上げ、彼女のそこへ押し入れた。 「あっ、んんっ、……ッサー、くっ………、な、んで、ッ、あ、あ」 「カナメさん、なか、すごい」 「やっ、やぁ――」 気持ちいい。気持ちよすぎて、薄い膜なしに擦れ合うことが気持ちよすぎて、喉の奥がひゅーひゅーとおかしな音まで立てそうなほどだ。抱え込むように強く身体を拘束して突き上げれば、逃げるどころか背中に回された指先が、ねだるように皮膚に食い込む。 上に乗ったこともないカナメさんが、戸惑いもあらわに動かす腰の動きで中が驚くほど卑猥に締め付けてくる。駄目だ。無理だ。止まれない。 すがりついてくるカナメさんの髪を引くようにして剥がし、隙間を埋めるように唇を合わせ、そのまま乱暴に組み敷いて。 後悔か快楽の本能からかわからない涙で濡れた瞳を見つめながら何度も激しく打ち付けて、彼女の中に欲望のすべてを吐き出した。 ***** ぐったり、という表現がこんなに合う場面も滅多にない。 辛うじて肘を曲げた右腕が瞼の上に乗っているだけの状態で、カナメさんは口をあけたまま激しく胸を上下させて必死で呼吸を繰り返してみえる。 たぶん同じか、より激しく拍動を繰り返す心臓で血管が沸騰しそうになるのを感じながら、俺は、ぐっと身体を持ち上げた。まだ繋がったままの自身を引き抜くと、カナメさんのそこがきゅっとすぼんで最後にキスをされたように錯覚する。完全に中に出した。繋がる白濁液が視界に映ると、無意識にまた芯が熱くなりそうになる。 「……大丈夫ですか」 何がだ。自分の問いかけに自問する。 と、カナメさんは答えようと唇を一旦閉じかけて、それから息のつまったような声を漏らした。 「………っ、うっ、ふ……」 「カ、カナメさん? すみません。大丈夫ですか。どこか痛いとか」 瞼に置いた腕の下から、涙が幾筋も流れている。 慌てて完全に退いてから、カナメさんの腕を取った。緩く瞬いた青い瞳から涙が溢れて――それは最中からそうだったが――真っ赤になって俺を見つめる。後悔か。だから言ったのに。でも、あなたが――あなたも、すごく求めて――いや、それは詭弁か。結局求めて貪って果てたのは俺で―― 「……っさーくん」 「どこか痛いところは――」 「き、気持ち良かった……?」 泣きながら俺を真っ直ぐに見つめる彼女の質問は、まったく意図が掴めなかった。 けれども何故だろう、正直にこたえなければいけないと思った。 初めて何も邪魔されず抱いた。彼女のなかを直接感じて、自分の欲望を擦り付けて動かして突き上げて、上も下も1つになって求め合った。ぐちゃぐちゃに溶けた体液はとめどなく溢れ、まるでそこからひとつの生き物になってしまうかと思うくらいに境界線が見えなくて、強く抱いて確かめた。 「すごく、良かった」 それ以外の言葉は嘘だ。 全部が全部俺のもので、全部が全部あなたのものになったあの感情に嘘はつけない。 「私も、良かった」 「え?」 と思ったら、彼女の瞳からまたぼろぼろと涙が溢れた。力なく擦り、それからゆるゆると伸ばされた腕を取って起き上がるのを手伝ってやる。ぐにゃりとした身体はまだ汗が引ききらず熱く、それでいて甘くいやらしい匂いに満ちている気がする。 「気持ち良かった。びっくりした。全部溶けちゃうかと思った。……メッサー君、お願い。またして」 「何を……」 「すき」 「カナメさん?」 甘いことばが唇に直接押し付けられる。舌の入らないキスは小さな子供のようで、言葉通りのような気がした。 すき。すき――何が――…… 「……すき。したい。このままがいい」 しなだれるように密着した胸の膨らみがトクトクと早い心音を俺に伝える。先端の尖りをわざと擦るように押し付けてくる動きはわざとだ。気持ち良かった。わかる。俺も気持ち良かった。でも駄目だ。これを常態化していいわけがない。あなたにとって感情が伴わなくても良かったのなら、好きな相手とならきっともっとだ。今俺に感じている欲望を、万一失敗が起こった時の後悔を、知らないから言えることだ。 「メッサーくん……」 だというのに言いながら伸び上がり顎をイタズラに噛んでくる彼女は最悪だった。泣き濡れた瞳はゆるゆると熱情を讃えて、指先で既に反応している自身を怖々と触ってくる。好き、を都合よく解釈するのは馬鹿だ。わかっている。けれど「お願い」と再び囁く声音は最悪に可愛く、俺の理性を簡単に揺さぶる。女神の中の悪魔に見えた。 振り切れそうな理性を総動員して、最後の抵抗とばかりに彼女の肩を押す。 「そういうことを、そういう顔で言わない方がいいですよ」 「どうして」 勘違いしそうになるから、なんて女々しすぎて誰が言えるか。 答えないでいる俺に、カナメさんが俺の胸に頭をつけた。甘えるように擦り寄せて、それから唇をつける。 火照った身体に冷たい唇が、教えたばかりのキスマークをつけようと動く。 「――……っ」 小さく残した鬱血跡にちろりと舌を這わせ、メッサー君と名前を呼ばれ、ぶつりと理性の焼ききれる音が遠くで聞こえた気がした。 【 ⇒ 】 お互い想う相手は他にいるんだろうなーと勘違いしたまま、身体の関係だけ続けてる不毛なメサカナ。 オムニバス的に書いているので、時系列は1〜5のとおりですが、へ〜そういうことがあったんすね〜くらいの気持ちで読んでくださるとありがたいです。 |